ネオン萌え

夜景が好きだけど、観光雑誌に載っているような綺麗な夜景には惹かれない。
思うにそれは、ぼくが暗闇の中で光る街灯や窓から漏れる灯がまとう独特な生活感に魅力を感じているから。

灯りの正体も曖昧な遠景の夜景が綺麗に見えるのは、つまるところ人の営みを抽象化しているから。闇が日常を覆い、光が眼をくらませ、輪郭をぼかす。故に、夜光虫がまとわりつく外灯も便所の灯りも、みな等しく綺麗な夜景の一部に成り変わるのだ。
本質から目を逸らした夜景にあるのは、代価可能な芸術性。光そのものは意味を持たず、彩りを価値とした集合体だ。配置と色彩さえ定めておけば、光源は何であろうと成立する。
だけど、光は光るために光っているんじゃない。……と言うと抽象的過ぎるか。
もっと狭めて、例えば街の灯に限って言えば、民家やオフィスビルの窓の明かりも街路灯も、夜景を構築するためのものじゃない。生活の副産物。暮らしの残り香だ。店名の記されたネオン管も道路を走る車のヘッドライトも故あってそこに在る。在る場所が変われば意味を成さず。ミラーボールのような刺激的な光を茶の間の照明にする訳にはいかないし、蝋燭の炎は舞台に立つ役者やミュージシャンを際立たせない。
店の所在を知らせるための看板や、進路を照らし自分の居所を周知させるための明かりには全て意図があり、独自の意味を含む。その意図や意味というのが、ぼくが指す「生活感」だ。ぼくは光が抱えるその意図や意味に惹かれて目を向ける。

というわけで

手に取ったのが、『RAPID COMMUTER UNDERGROUND』。抽象的なタッチの絵柄ながら濃く漂う実体感は色彩から発せられている気がする。電車内の蛍光灯。バーの照明。一つ一つが日常を想起させる。
加えて、実体感の保持を色彩に任せて展開される幻想的な物語は、画風によって神秘性を得て説得力を増している。何から何まで、緻密に組み上げられてできた世界観は圧巻の一言。
「通勤時間を利用して漫画を描いてみた」
たったこれだけのことを発端に、これほどのファンタジーが描けるのかと驚かされた一冊です。

世界最後の日……は、多分寝て過ごす。

解説を見て第九地区みたいな話なのかなと興味を持って読み始めたら、地上最後の刑事みたいな終末論が蔓延る世間を舞台にした日常ものだったのかと思い改め読み進めると、最後の最後にそれら全部が覆された『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』。
強くない地球外生命体という存在がもたらす世の中への影響は繊細に描かれていたり、物語の背景描写の一環だと思ってた事件ががっつり伏線だったり。設定がしっかり世界観に直結していて、SF魂ががっつり揺さ振られる一冊だった。
続きが楽しみで仕方ない。

いやあ、いい本に出合った月だった。

……と書こうとしたのは先月か、先々月末のこと。
ブログのネタにするために、逐一色んなことをメモする習慣が身に付いたのはいいんだけど、書こうと思ってから実際に書くまでが遅い。
思い付いたことを、思い付いたまま迅速に出力できるようになりたいと思ってブログを書き始めたのに、これじゃあ、あかんなあ。