再開

東京行ったり、東京行ったり、東京行ったりして忙しかったけど、予定も落ちついてきたので今月から細々と更新再開。

年末は

スペクターとSW7を何とか見逃さずに済んだ。
テイストが過去作風に戻った感じの007だけど、あれはあれで好きなのでぼくは楽しめました。細かなところでお約束をあえて外してくる感じがお洒落だなあと。年々、肉体的アクションが減りつつあるダニエル・ボンドだけど、それも成熟の証として映るのはシリーズ内での経過した時間をボンドの意思決定にしっかりと反映させてきているからなんだろう。通しで観ると、スパイ映画が伝記ものに。伝統を現代的に演出した点が目立つ作品だけど、最新作が過去作の別の観方を提案しているっていうのも今作の魅力だと思う。キャラクターから人間へと昇華したボンド。今作で降りるって噂もあるけど、もう少しダニエル・クレイグに続けてほしいなあ。
普段映画を観ない人もSWだけは逃せないようで、EP7は友人と連れ立って行くことに。おかげで、会員ポイントがめっちゃ貯まった。過去作を彷彿とさせるシナリオの中に放り込まれた新顔はみんな未熟で、ストーリーが進行する中で少しずつ成長の兆しを見せていく。それが主人公の側で展開するだけなら凡作に留まってたんだろうけど、今作ではそれが敵側でも起こる。無理をしてカイロ・レンをダース・ベイダー(級の悪役)に仕立て上げたりせず、使い捨てるわけでもない。伝説の後に生まれた悪役はどうあるべきか。恐らく、新シリーズを始める上での課題だっただろう葛藤が、そのままカイロ・レンという人物を象徴している。どんな悪役になるのか。そう思っているのは観客もきっと同じで、だから続きが気になる……はず。再始動のための作品として、今作は果たすべきことを期待以上に成し遂げてくれたし、今作のおかげで向こう数年が待ち遠しくなった……んだけど、他の人の批評を見るとどうも世間はそうでもないらしいんだよなあ。
トンファー・トルーパーがあざと過ぎたんだろうか。ぼくはむしろ、J・J・エイブラムスが後の二作もやってくれたらいいのにって思ってたくらいなんだけど。

年始は

バットマンVSスーパーマンの予告編観てテンション上がった後に予告編詐欺って言葉が頭にチラついて、シビルウォーの予告編観て気を紛らわす。だけど、デッドプールの国内公開が夏季という話を聞いた悲しみは癒せなかった。オデッセイの公開日まで全裸待機してたら風邪を引きそうだったのでどうせ国内じゃ単館上映すらも怪しいリメイク版プラン9の予告編を観たら、何故かガンツを想起した。いや、映画も原作もまともに見たことないんだけど。何故か。

おわりに

あけましておめでとうございます。

移住計画

理想もそこに辿り着くまでを計画すれば目標になる。
火星までの道のりを眺めると旅行なんて途方もないことのように思えるけれど、今日やるべきことが解っていれば、あとは辿り着くまでそれをこなしていけばいいだけだ。
と、言うは易し。だけども、マイケル・ジャクソンも言っていた。

「みんながこう言う。『誰かがやってくれる』と。『誰か』って? ぼくらから始めよう。でないと、成し得ない。
                (マイケル・ジャクソン THIS IS IT,2009)

そう語ったのは、環境破壊を四年で止めようという話の中でのこと。語った直後に彼は亡くなってしまったけど、確かに彼は自分の手で世界を変えようとしていた。善意でもあったんだろうけど、多分それだけじゃない。自然を回復させることは彼自身の夢でもあったんだろう。
ポップの頂点に立ったからこその言葉だ。
夢を叶えてくれるのは誰かじゃない。

wired.jp

ぼくが生まれる少し前から、火星に至るまでの筋道を立てていた人がいたそうだ。今も絶えず計画は更新されている
彼らがやらなくても誰かが火星を目指した。そうかも知れない。だけど彼らが目標に近付いているのは、彼ら自身が1986年に歩き出したからだ。誰かがやるのを待っていたら、計画はここまで更新されていなかった。

今年も残すところ三ヶ月を切った。あと四分の一。自分のために自分がやるべきことは何だろうか。来年までに片付けてしまえることは何だろうか。考えねば(焦り)。

大集合

昨今に限定すると、映画の配給会社が連作物で味を占めたのはハリポタからなんだろうか。
単発物の続編展開よりも大長編の切り売りの方が収益が安定するし、どこかのパートが運良く当たればシリーズ全体を牽引してくれる。それに気付いたハリウッドが連作物を発展させたのがクロスオーバーなんちゃらで、日本だと特撮が逸早くその潮流に乗っかったようだけど(アイアンマンの上映と電王の開始年が同時期だからという邪推)、アメリカナイズされたゴジラさんもアベンジャーズや(まだ始まっていない)ジャスティスリーグの後に続いてキングコングさんとコラボするらしい。
ゴジ対ゴリだけなら「ああ、以前日本でやりかけた企画の焼き直しなのね」と処理されたんだろうか。その後の予定にコング単発とゴジラ2とあるので、どうにも果てに怪獣大決戦を連想してしまう。
この辺りの話に関してはヘイトがそれなりに溜まってるんで、パシフィック・リム2の企画を飛ばしてやることがアメコミの追従かいとも思ったんだけど、今後のラインナップに『jet jaguar(20XX)』とか掲載されたら多分、掌クルーってします。

全く無い話でもないと思うんだ(超期待)。


触らぬなんとか

もしかして:AVP

www.cinematoday.jp

当人よりも、聞いたこっちの心臓が止まるかと思ったわ。
FBで定期的にネタ記事発信してたのに、呆気なさ過ぎるだろうってマジで思っちゃったよ。


www.denofgeek.us

ハイウェイを走るバッドポッドとかは正に影響を受けてるって感じだったけど、本当にメガホンを持つかは疑問。シカゴが舞台で「『さん』をつけろよデコ助野郎」の台詞と共にアップで写される渡辺謙と鉄雄がでっかくなるシーンで流れるブォーンっていうBGMまでは想像できたけど、実際のところどうせまた製作総指揮が精々なんじゃないの
それよりも、ボンドシリーズを監督してみたいとどこかで言ってなかったか。そっちなら、成功が約束されているダニエル・クレイグとの契約が切れた後に、話題作りとして新シリーズの監督に呼ばれそうな気もするんだけど。

942,000,000km

ここに身を置いて、気付けばもう一年が経った。あれ以来状況に大した変化や、成長があったか。改めて振り返ると、ない。現在のぼくというのは所詮二十四時間前のぼくの続きでしかなく、明日のぼくというのも現在のぼくの続きでしかない。だから、人格は不動なのだと決め付ければそれはただの頑固者だ。そうではなく、現在と過去の自分を分け隔てて比べるのに、本初子午線を当てにするのはあまりに拙いと感じた。
状況の変化や自覚がない割に、自分が書いた過去の記事を読み返すと、現在のぼくとは異なる考えがところどころに見つかる。思うに、書き留めておいたからこそ、その違いは浮き彫りになったのだろう。実態を持たない精神といえど、不定形というだけで実在しないわけじゃない。絶えず表皮を微細に変化させていく。形を記録しておくことでやっと比較が可能になる。自己比較の物差しとして機能しているということは、滅多に人が寄らないこのブログにも続けた意味があったのかも知れない。
元より、金の絡まない道楽だから、そんなものあろうとなかろうと構わないんだけど。

夏休み

絵日記、読書感想文、自由研究、ドリルエトセトラに追われていた日々はもう昔のことだけど、夏休み子ども科学電話相談のまとめを見て、近所の田んぼでカブトエビやオタマジャクシを乱獲しに行っていたことを思い出した。最近、当時住んでいた家の付近を散歩したんだけど、ほとんどの田んぼは埋め立てられていて、跡地にはオサレな住宅が建っていた。時が経てば変わるもんだなあと感心していたんだけど、件のまとめに載っていた子どもの質問集を見て、小さい頃なら疑問に思っていたはずの物事を、物事とはそういうもんだと思考停止して不思議に思わなくなっている自分に気付かされた。景色を眺めて、他人事のように時の流れを受け止めている場合じゃない。「あのとき」の感動が埋没していく。場所も思考も知らずの内に。そう思うと、ちょっと怖いなあ。

遅筆は恥

みたいなことを言ったのはさて、誰だっけ。

話題にしたい映画は多々あったんだけど、筆の遅さのせいでネタの旬が過ぎてしまった感。もう面倒なので、今年は豊作だったなあと、上半期の感想を雑にまとめる。

前世代を踏襲した設定とストーリーが、次世代の置かれる立場を緻密に描写にも繋がっていたことに感動したパトレイバーや、カーチェイスという一つの状況の中に妄想力を爆発させた展開をふんだんに盛り込んでたマッドマックスとかは特に感想を書きたかったんだけどね。

格差社会

地方にしては豊富だと思うんだけど、都会に比べると数が少ない群馬の映画館。関東の中途半端な場所にあるせいで、セッションもオン・ザ・ハイウェイもやっていない。
長野では公開が決まったらしいのに……。

解消

生活で溜まったストレスはマッチョ映画を観て頭を脳筋にするのが一番。ということで、土日をジェイソン・ステイサム祭りで潰す。フラストレーションは乳酸で洗い流してしまえばいいのだ。